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「低能先生」と「標本M」  批評するには値しない記事です。0点。しかし、ここまで大げさな議論をされると、なにか反応をしなければいけないので、E婆の真意を書いておきましょう。このブログは、F爺さんに読んでいただくために書いているのです。叱咤激励するために書いているのですが、それは誹謗中傷としか読めない、というのであれば、見解の相違ということでしょう。匿名のブログは読まないことにしているというのは表向きの話で、F爺さんは自分のことを話題にする匿名ブログをいつもチェックしています。そのこと自体はごくふつうのことなのに、仲間に対して匿名ブログは読まないと宣言したてまえ、E婆のブログの存在は知っていたけれど中身は知らなかったというフリをしなければならなくなったわけです。まあいいでしょう。F爺さんは少なくとも4月からE婆のブログを毎日のように読み、E婆の指摘をすこしは意識したような形跡があります。
でもね、F爺さん、はっきり言って、あなたの文章はうまいわけではない。ただ論理的に書いてあって分かりやすいというだけです。人を感動させる文章はほとんど書いていないし、味わい深い文章もあまり書けない。ユーモアを交えた文章も苦手、そして女性のことを書く時はどうもぎこちない。それがF爺さんですよ。F爺さんが、トルコの本で評価を受けたのは、すばらしい経験をしたからです。ほかの人が真似をできないような経験です。経験にみんなが拍手を送ったのです、文章ではありません。F爺さんは自分の文章がうまいものだと錯覚なさっているのではないですか。言語学者が名文家だとはかぎりません。そりゃあたりまえでしょ。
言語学者でなくて言語研究者だと言い張ってみたりしてますけども、そんなことを言っているから、言語学者の間で相手にされなくなるんです。せっかくの経験と学識が台無しじゃないですか。こだわりを捨てて、社会との接点を持つべきだと思います。それがひつじ書房だったはずですが、どうも雲行きが怪しい。自分が人生で何をなすべきかを見つめ直せば、黛まどかさん批判に時間を費やすことの無駄がわかるはずでは。E婆は、あくまでも小島剛一さんに言語学領域に戻ってほしい、その一念で嫌われ役をやっているのです。なんでもかんでもF爺が正しいと思ってるファンとは、思いがすこし違うんです。とにかく、言語学にもどってください。ラズ語がたいへんなら、「罵詈雑言辞典」でもつくったらどうですか。先行事例はあるけども、F爺さんなら上回ることができるでしょ。
さて、ながらく、一対一対応で、書いてきましたが、今後は気が向いたときにだけ書くことにします。毎日読むのはさほどではないけども、毎日評を書くのは大変だからもうやめます。F爺さんからリクエストがあれば毎日書きますが、ないなら不定期とします。これまでF爺のブログと交互に読んでくださった方々には申し訳ないけれど、F爺さんも心に負担に感じていらっしゃるようだから。そりゃ、中学生や小学生と比べたら失礼なことは分かっていましたが、いまの中学生はもっと文章の上手い子がいるんですよ、実際。最後に、F爺さんに歌を贈りましょう。万葉集2582です。いろいろな解釈がありますが、深読みしていいふうに解釈してくださいね。それではまた。
言語学研究者ではなくて言語研究者が正しい言い方らしいので、改めました。
F爺さん、「言語学者を名乗る」という表現が、わたしのブログのどこにあるのか、教えていただけませんか。恥ずかしいことに探しても見つけられないんです。見つけたら、即刻「言語研究者である小島剛一氏」と訂正いたします。こういう細かいところであれこれ論じるのは、本意ではありません。自分から言語学者ということはないけれども、他人から言語学者と言われてもかまわない、ということでいいんですよね。
また、黛まどかさん関連の記事を当初、プライベートにしたのは、そう深い意味があるわけでなく、F爺さんを悪く書いてあるから、いまさら公開しておくのも申し訳ないなあ、ご本人は読んでしまわれたことだろうから、もう非公開でもいいや、という程度です。そもそもF爺さんの休暇中にすべてプライベートにしたのはせっかく休暇中なのにこういう批判記事はよくないなあと自粛したんです。繰り返しますが、E婆のブログ寸評は、F爺さんという人に読んでもらえたらそれでいいわけです。ほかの人も読みたければ読めばいいでしょうが、そんなに期待していません。すべては、F爺さんを叱咤激励するためです。言語学にもどってもらうためです。
私から見て黛まどかさんがどうのこうのというのはありません。俳人というよりはたしか日本語オペラ台本を書いた人として私は認識しています。上手だと思いますよ。だけど私は深くは読んだことがありません。
私の記事は、公開すべきだとおっしゃれば、基本的には公開します。別に隠す必要はないです。
あと、100点満点でマイナス100点という採点方法ですが、あれはウケ狙いの文章ですよね。ああいうところにユーモアセンスがちょっと足りないと思うんです。100点満点なのにマイナス100点といってしまったら、まともに計算ができなくなるし、やっぱり意味不明でしょ。ただの200点満点にすりゃいいんじゃないですか。採点はシンプルなほどよくて、論理的にもいいと思います。それから「お手盛り」という意味が分かりにくい。そりゃ一人で評しているのだから、客観性はない。勝手に採点しているだけですよ。でもそれが自分の利益になるわけじゃないので、お手盛りという表現はニュアンスが違うんじゃありませんか。
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